普通、一家の大黒柱というと父親を指しますが、我が家の場合は母親でした。仕事もバリバリ働くのは母親でしたし、家族の決め事などは全て母親で決定していました。その母親に、乳がんのしこりらしきものがあり、乳ガンが見つかったのが60代後半のころでした。子供はみんな成人していて家族を持っていてそれぞれ独立していたので、母親が乳ガンになったからといって何がどう生活が変わるわけでもなく、それほど慌てもしなかったのですが、やはり1人になってしまうという父親のことは心配でした。母親もそのことが気がかりで、子供達に父親のことを世話するようにお願いしていました。ガンとなると自分のことが心配のはずなのに、家族のことばかり心配して、自分は二の次でという会話ばかりでした。ガンも末期になってくると、手の施しようがなくなるのか、緩和ケアへと移行していきます。最初の入院先は地元の大きな大学の付属病院でしたが、家からかなり距離があり父親が通うのも大変でした。緩和ケアに移ってからは、家から自転車で行けるぐらいのところに転院しました。やはり緩和ケアとなると、家族が気軽に行けるように、大きい病院というよりも近くの病院の方が良いなと思いました。どうしても乳ガンは、大きい病院で治療してもらいたいという気持ちになりますが、緩和ケアとなるとできるだけ近くの方が頻繁に会いに行けるし、転院してよかったかなと思います。